感覚をひらく遊び

耳
 最近、触らずに耳をピクピクと動かせるようになりました。最初は遊びでやっていたものが癖になり、ふと鏡で見ながらやってみたらできるようになっていました。身体感覚って面白いな、と再認しました。

私達の身体は可能性に満ちている!

耳を動かすというと、どうも耳そのものに意識を向けてしまいますが、表情筋や頭の皮膚を動かすような感覚で行います。

例えば、耳を後ろに動かしたければ後頭部に皺を寄せるようにすることで耳が後ろに引っ張られる形になります。
上下に動かしたければ、頭頂部に寄せるようにします。

人間の身体というのはとても面白く、継続して使っていくと体感覚がひらかれて、通常考えられないことができるようになってきます。

職人技と呼ばれるものはまさにその類いで、同じようなことを繰り返す中で感覚が磨かれて、1mmの隙間に何本も線が引けるようになったり、両目を独立して動かすことができるようになったりすることがあります。

ヨガでもナウリといって、内臓を自由自在に動かしてお腹を刺激する行法があります。

なぜ身体感覚をひらくのか

とはいえ、身体を割って、細かく動かせるようになったと言っても「だからどうしたの?」の一言で切り捨てられてしまいます。

身体表現を仕事にしているのならともかく、細かく動かせなかったからと言って日常生活に支障をきたすなんてことは起こらないでしょう。
 ただ、そうやって私達の感覚は鈍っていくのでしょう。
 
 必須ではないから、使わない。
 使わないから、衰えていく。

 

 使わない道具に埃がかぶっていくのは当然のことです。
 それは1つの適応の形なのかもしれません。
 だけど、衰え失われていく感覚が必要ないわけではありません。

 私達の身体は機械ではないので、必要ないから取り外すということはできません。
 つまり、使っていない部分はただの重みとして身体にのしかかります。

 そうして無駄ができれば余分に疲れることになりますし、限られた資源で身体を運用すればそれは自然と特定の場所に負担をかけることになります。
 そして膝や腰、肩などに痛みが生じていきます。

 逆に「動かせる=意識できる」ということです。
 意識が浸透しているからこそ、異常が起こったとしたら真っ先に気づけます。
 気づきがあるからこそ、滞ったらすぐにほぐすことができます。

 他人ができない動きができるのが大事なのではなく、そこに意識が持っていけることが大事なのです。
 だからポーズが綺麗にできるかどうかはどうでもいいと私は思っています。

赤ちゃんってすごい!

赤ちゃんは立ち上がる時に最低限の筋力しかありません。
それでも欲求が起こって、立ち上がります。

そのために、周りのものも自分の持てる力も全部使って立ち上がる。
絶妙なバランス感覚で、また柔軟性を最大限に利用して立つ。

その身体の使い方って理想的だと私は思います。

 翻って、私達は立つ時歩く時、走る時、あらゆる力を持って行動できているでしょうか?
 少なくとも私は自信がなくて、だからこそそうありたいと感覚を磨く日々を過ごしています。

 

身体で遊ぶのは面白い

小難しいことも書きましたが、最終的になにが言いたいのかといえば、身体が開けていく感覚ってとても楽しいから是非やってみて、ということです。

耳を動かしてみたり、あるいは足の指を一本ずつ曲げられるようになったり。
自分が継続してやって、できるようになっていくことって自信に繋がると思います。

そして、それは誰にも迷惑かけることもありませんし、何千回何万回失敗したからといって、なにか悲劇が起こるわけではないのですから。やらない手はないでしょう?

月額648円~始められるオンラインヨガやってます。1ヶ月無料体験実施中。まずは習慣作りから始めましょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする