7つの習慣ボードゲームを体験してきました。
かの有名な本ですが、それを体験できるボードゲームです。
一時期、クラウドファンディングで話題になっていたものですね。
ゲームの進め方などに関しては割愛します。
体験学習の一種だと感じたので、「なにをしたのか」はあまり重要ではなく「なにが自分に起こったのか」や「なにを感じたのか」が重要です。
1度友人間でプレイさせてもらったことはありました。
ただ、今回はほぼ全員が初対面ということで全然違った内容・雰囲気で行えました。
後から聞くと、ルールは上級者向けになっていたのだとか。
確かに難しかったですー。
目次
結果と振り返り
結果から言えば、私はゴールすることができました。
それはもちろん喜びはあるのですが、そんな感想だけで終わらせてしまうのはもったいないくらい中身が濃かったです。
というのも、6人のプレイヤーの中で似たような人がおらず、それぞれの色が明確に出たとからです。
特にゲームへ取り組む姿勢と交渉(あらゆる場面で交渉ができ、またしなければまずクリアできません)の仕方は大変面白かったです。
個人的な課題
アドリブ力というか、その場その瞬間の状況判断がまだまだ甘いなと感じました。
一見変化していないように見えても時間制限などもあり、刻一刻と状況は変化している。
最初は価値がなかったものが後半は価値が上がることもある。
その中で、即座の判断をして時には条件を変えて交渉していくことも必要です。
あと、自己開示をもっとしたら良かったです。
自分では素直に意見や要求を伝えているつもりでも、「なんだこいつは。ずうずうしい」と捉えられることもあります。
肝心なこととして、相手の感じ方については操作できません。
けれど、僅かでも不信感を取り除くことができただろうな、と。
今回は初対面の相手だったので、人となりを互いに知りません。
つまり、相手を知らない不安が不信感に繋がりやすい。
だから自分がどういう意図で動いているのかをきちんと伝えることで安心できたよな、と感じました。
自分が言うことで他の方々も言ってくれたかもしれません。
「不安定な場」も経験していくと糧になる
ゲームの性質的に手探りでやらなければならず、また知らない者同士で結構色んな感情が渦巻く場だったと思います。
いかにいつも自分が配慮・整備された「場」で過ごさせてもらっているのかがわかって、感謝が湧いてきました。
けれど、こうした場を体験しておくことで普段は感じられない学びもたくさんありました。
感情を揺さぶったり、揺さぶられたりもするんですが、多くの場合、意図してそれを行っているわけじゃないんですよね。
だから、それをどうこう言っても仕方ありません。
それより揺さぶられたのはなんでなんだろう? と考えてみるのが建設的。
相手の体験は相手のもの。自分は自分の中で起こっていた体験について語りましょう。
他者の気になるところは自分の裏返し
振り返りを聞いていても、やっぱりそれぞれ気になるところが違うんですよね。
人間、自分と関係するものに自然と意識が向くものです。
つまり、他者の言動で気になるのところはブーメランとして返ってくることがあります。
あの人の言動が引っかかったというのは、普段自分がしていることなのかもしれない。
日常でもそんな視点で見てみると、また面白い発見があるかもしれません。
「交渉」に対する認識の違い
途中、交渉をしながらかなりもやもやしていました。
どこかちぐはぐで、噛みあっていないと感じていました。
「なんでなんだろう?」とずっと考えていたのですが、帰り道でそれに思い至りました。
おそらく「交渉」に対してのイメージが違ったのでしょう。
自分なりに考えてみると私の交渉は「お願い」でした。
私は今これを求めていると伝えて、それに対して提供できるものはこれだけだと言う。あとは相手次第。
だから、別に断られたら断られたで仕方ないし、相手からも別のお願いをされたらそれはそれで受ける。
それに対して、「平等」を目指す人がいました。「奉仕」をする人がいました。「駆け引き」をする人がいました。
自己開示の件とも関連しますが、交渉に対するイメージも伝えれば良かったです。
そこのすり合わせもしておけば、スムーズだったなと。
自分しか自分を幸せにできない
いくら周囲が幸せを願っても本人が幸せになろうとしなければ、幸せは訪れない。
まずは自分自身に許可を出すことから始める必要があるのかもしれない。
私自身、幼少期に課した自己犠牲的な精神があり、それに苦しんできました。
それは奉仕とはまた違うんですよね。
自己犠牲には無意識的な打算があり、それによって他人から認められようとする作為があります。
それに対して奉仕とは「無償の愛」というように見返りを求めないことです。
ただ、現れている行動としては似通っているものがあり、その違いを完璧に見分けることはまだ私にはできません。
ともあれ、同時に周囲の願う幸せと本人の願う幸せにはギャップがあることもあり、それは押しつけてはいけないよなとも思います。
ギブ&テイクでは関係が終わりやすい
もらった分は返す。挙げた分はもらう。
そういう関係性が当たり前のように思えるんだけど、そういう関係性ってともすれば崩壊しやすいよな、と感じました。
もしかしたらもらいすぎたり、与え過ぎたりした方が関係英ってより深まるし、継続していくのかもしれない。
もらいすぎたらたくさん返したいと思うし、そうすると相手もまたたくさん返そうとしてくれる。
そうやって、少し余分に与えあうことで「この人は心地良いな」という頑丈な土台に支えられた信頼関係ができあがるのかもしれない。
譲れないものを明確にしておくこと
例えば、自分の目標や夢があったとして、それは本当に自分が達成しなければいけないんでしょうか?
他にもっとふさわしく達成できそうな人がいた時に、その人に委ねるというのは別に間違った選択肢じゃないと思います。
変に競合して、足を引っ張り合うくらいならば、自分にしかできないことを他に探ってみることもいいかもしれない。
その時に後悔しないためには譲れないものを明確にしておくことが必要なのでしょう。
交渉でもそう。
これだけは如何しても欲しい。そこがはっきりしていれば、あとは柔軟な対応ができるはず。
一軍で活躍するプロ野球選手になりたいと思ってもその夢は果たせないかもしれない。
ただ、本当にそれが譲れないものなんでしょうか?
もし、それが「野球に携わって生きていく」ことが譲れないものだったら、コーチや球団職員でもいいのかもしれません。
あっという間の時間で非常に面白かったです。
また違った人とやると面白いと思うので、また別の人達とやってみたいです。