無駄なものはない、ただ捨てる人がいるだけ

 職業体験する子ども

 オンラインヨガの本田信英です。

 少し前から肩に痛みがあり、その不調との付き合い方について触れました。

不調に気づける力が生きやすくする
 オンラインヨガの本田信英です。 一週間ほど前から右肩に奇妙な痛みを感じるようになりました。  これまでに感じたことのない違和感におかしいなと思い、色々と方...

 ずっと色んなところをほぐしていたのですが、正直じわじわと悪化していました。
 というのも、だんだん肩から首にかけて痛みが波及してきたのです。
 
 場所で言うと、胸鎖乳突筋の辺りでしょうか。首コリにも関係してくる場所ですが、知らず知らず姿勢が悪くなっていたのかそちらにも突っ張りを覚えるようになっていました。

 しかし、今日ふとお腹をほぐしたら一気に楽になりました。

身体は繋がっている

笑顔の家
 
 

きっかけはお腹と腕の関連性

 最初のきっかけは肩の痛みがどうにかならないものかと、どんな動作をすれば痛むのかを探りながら動かしていた時です。
 痛みのないように動かしていたら、お腹が同時に動くことが感じられるようになりました。

 丹田は全ての動作の中心とも言われますが、その意味を実感できた瞬間でした。
 余分な力を排して身体を動かすと、お腹から動くんですね。

 ただ変わらず痛みが出るので、それからあれでもない、これでもないと試行錯誤を続けていました。
 そうしたらたまたま家にあった野球の軟球があったので、「お腹をほぐしてみよう」と思い立ちました。

 うつ伏せで腸腰筋(腸骨筋と大腰筋を合わせた深層筋)のあたりにボールを添えて、その上でゴロゴロと動いてみたのです。(体重のかけ具合は調整して)
 すると、愕然とするくらいに肩の痛みがすっきりとしました。

 右半身のお腹周りが知らず知らず緊張していたようです。
 そうすることで、特に肩の後ろ辺りが突っ張ってしまっていたのです。
 
 例えば、猫背で背中が丸くなると自然とお腹は縮まり、背中は張ります。
 それと同じことが右半身に起こっていました。

身体の可能性

 これがわかった時に、私はたまらなく感動しました。

 なんで肩の痛みがお腹ほぐして治るの?

 意味不明なんだけど、顔がにやけてしまう。
 じっとしていられなくて、うろうろしてしまう。
 
 やっぱり身体って全部繋がっているんだ!
 足指の先っぽから頭頂部まで余すところなく関連し、相互に関係し合い、絶妙なバランスで成り立っている。

 なんて神秘的でいて、奥深い。
 自分の身体に多大な可能性が眠っていることを実感して、その片鱗を垣間見ることができたその喜びに打ち震えました。

 こういう気づきや発見があるから、生きることはやめられません。
 身体を振るい、探求することはこんなにも楽しい。
 

不調と向き合うことによって「経験知」を得る

実験器具

 改めて思うのは、不調をことさら改善しようとせず、静かに向き合うことの重要性です。

 今回、不調をそのままに向き合ってきたことで得られた発見でした。

 整体や外科に行けば、すぐに解決してもらえたかもしれません。
 けれど、同じことが起こった時に、また頼らなければなりません。
 同じことの繰り返しで、結果的に依存することになっています。

 

苦い経験から得たもの

 かつて、私は肩鎖関節を脱臼しました。
 その時は整形外科の先生の勧めるままに手術をしました。
 それ以外の選択肢を持っていなかったのです。

 他にも選択肢があったことは術後に知りました。
 
 手術したことがダメだと言うのではなく、他の選択肢を探らなかったことを反省しました。
 緊急時以外は「不調が起こった→治さなきゃ!」 と早計にするのではなく、きちんと向き合ってからでも遅くはない。
 
 そのことを痛感した瞬間でした。

「経験値」ならぬ「経験知」

 それからヨガを始め、不調が起こるたび

「自分でどうにかする手段はないだろうか?」
「こんなことをしてみたらどうだろう?」
 と自らの身体を実験台に色々なことを試しています。

 そうした不調と向き合っていくことで、少しずつ、でも確実に私の中に積み重なっていくものがあります。
 その本当の価値は結果よりも過程にあります。
 
 よくわからない不調があって、その不調を心や身体、食事、呼吸など、色んな観点から探っていく。

 身体がゆがんでいる気がする時はこうすればいい。
 疲れて肩にだるさを感じる時はだいたいここをほぐせばいい。

 そういう引き出しを増やしていくと、やがて複合的にそれを絡めていくことができるし、同じような不調を抱える人の助けにもなれるかもしれない。

 自身が経験してわかったこと。「経験知」でしょうか。
 それを大切に常に大切にしていきたい。

 なるべく自分のことは自分で始末をつけられる人間でありたい。
 それが自律であり、自立だとも思うのです。
 

無駄なものはない。ただ、ゴミ箱に捨てているだけ

リサイクル表示
 きっとね、無駄なものなんてないと思うのです。
 
 もちろん、私だって「無駄だったな」と思う瞬間があります。
 でも、それは私がそう判断しているだけです。

 煮込めばスープに使えそうな野菜くずをゴミとして、捨ててしまように。
 ただ、それを活用しようという意志がないだけ。

 だから、もしそこに価値を見出そうとすればいくらでも価値を生み出すことができるのではないかと思います。

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