突然ですが、鉛筆をもらったら、あなたはどうしますか?
おそらくなにか書いてみるのではないでしょうか。
だからもし隣で別の人が、渡された鉛筆を真ん中からボキッと折ったら驚くはずです。
「鉛筆を折るのがストレス発散なんだ」
そう言われても、その人の正気を疑いたくなるかもしれません。
鉛筆とは、書くものです。
そういうインプットをされてきているので、想定外の使い方をされるとギョッとします。
けれど、実は「書くものとして扱わなければいけない」とは誰からも強制されていないんですよね。
鉛筆そのものを1つのアート作品としたっていいし、ドミノ倒しの道具にしてもいい。
鉛筆の端っこを削って数字を書いて、テストの選択問題がわからない時に鉛筆を転がした経験はないでしょうか?
子どもの頃ってもっと自由だったのではないでしょうか?
けれど歳をとり、経験が積み重なるごとに慣れた使い方しかできなくなります。
私達は知らず知らず限定されている
現代の商品は、使用方法が決まっています。
だいたい道具を買えば、使用上の注意が記載されていて、「〇〇以外には使用しないでください」と書いてあります。
芳香剤だって、トイレ用、部屋用、玄関用などとやおら細分化されているわけです。
もちろん違いはあるんでしょうが、別にトイレ用を部屋に置いたらダメってことはないはずです。
けれど、多くの人が指定されるがまま使っているでしょう。
そうして誰かの作った枠組みの中で安心しているうちに、やがて自ら枠を求めるようになっていくのだと思います。
だから得体の知れないものを渡されると、不安を感じるようになります。
「これどうやって使えばいいんですか?」
そうやって他者に問いかけてみる前に、まずはどうにかして使ってみればいいんですよね。
専門化の弊害とシンプルさ
私はホームセンターやスーパーに行くと、時々キッチン用品の棚の前で立ち止まります。
欲しいわけでもないのに、なんか見ているのが楽しいんです。
キッチン関連のアイディア商品って頻繁に出ていて、たまにハッとするほど面白いものがあったりして感心します。
ただ、移り変わりも激しくて半年もすると見かけなくなる商品も珍しくありません。
確かに便利ではあるけれど、「便利だから使う」とはならないのが人間です。
以前、味噌を一人前測るマドラーを母が欲しがっていたのでプレゼントしたことがあります。
最初は喜ばれて使われていたものの気づけば目につく場所から消えていました。
味噌を測ることに関しては役立つのですが、それ以外の用途には使いづらかったのでしょう。
1つ2つならばともかく、道具がいくつもあったらかさばってスペースを取ります。
だから結局、おたまで味噌を溶かせばいい、となったのでしょう。
シンプルなものはそのシンプルさゆえに応用が利きます。
おたまやフライ返しがキッチン用品の棚からなくなることはありません。
多少形状は変われど、どこに行っても必ずあります。
専門化することが必ずしも良い方向に働くわけではありません。
ヨガのイメージもほぐしなおす
もちろん私も現代人ですから、そうした道具の用途には縛られています。
鉛筆を折ろうとは思えません。笑
ただ、 「〇〇は××だ」という固定概念からもっと自由になってもいいと考えています。
ヨガは難しいポーズして、深い呼吸をしなければならない。
そういう凝り固まったイメージからも抜け出していいのです。
私自身、呼吸の大事さを実感できたのはヨガを始めて2年くらい経ってからです。
最初からなんて、よほど素養やよそでの経験がないと無理でしょう。
(ただ、いつか気づきの瞬間が訪れるので、言い続けることは大事なのです)
意欲が湧かない時はゆるくダラダラやってもいい。
朝ほぐしの別の使い方
オンラインヨガでは、朝の10分ほぐしをやってます。
これの使い方も本来の用途以外の使い方をしたっていいと思っています。
10分ほぐしではカメラもマイクもオフでOKとしています。
だから、生放送でほぐしを行っている私からあなたの画面を覗くことはできません。
つまり、別にほぐしをしていなくたって私にバレることはありません。
その間に、他の日課を行ったって構わないと思ってます。
例えば、
・毎朝10分の英語学習のBGMに使う
・ただ画面を眺めて、人の営み息遣いを感じる
・毎朝の目覚まし代わりにする
適度な雑音が集中力を高めることもあるでしょう。
やる気の起らない時は無理にやらず、ただそこにいるってことが必要な時もあります。
あんまりこういうことを言っちゃいけないのかもしれません。
けれど、人間365日ずっと同じ状態ではいられません。
その時々の自分の状態と上手に付き合うということを大事にしてほしいと願っています。
自分のためにやる。だったら、苦しみながらやって欲しくない。
やっている実感がないくらい自然にやれるようになるには時間がかかりますが、その境地まで一緒に行けたらいいなと思っています。。