苦しければ、まず期待をやめる

感謝の気持ち

 オンラインヨガの本田信英です。

 最近のことですが、他者に対して素直に感謝できるようになりました。
 
 もちろん、これまでも感謝の念を懐くことはありましたが、今から思い返すとそこにはどこか濁った感情が混じっていました。
 それはいわゆる承認欲求や虚栄心だったのでしょう。

 とりあえず感謝することでその場を収めたり、相手からの感謝を引き出したりする打算がありました。
 無意識なので、自分自身でもそのことに気づいていませんでした。

 けれど、そうした黒ずみが抜け落ちて、透明な気持ちで「ありがとう」と言えるようになりました。
 
 なぜそんな変化が起こったのか、言語化できなかったのですが、昨日ふとそのきっかけがつかめました。
 
 無駄な期待をしなくなったのです。

「期待しない」とはどういうことか

期待するほど裏切られる

 かつて、私が10代半ばの最も苦しんでいた時に、私はたくさん他人に期待していました。
 
 家族なら、助けてくれるはず。
 カウンセラーなら、救ってくれるはず。
 大人なら、なんとかしてくれるに違いない。
  
 
 でも、期待が膨らめば膨らむほど、現実は大きく裏切りました。
 私の思い通りに動いてくれず、いつも終わった後には不満だけが残りました。
 
 こうしてほしい。助けてほしい。
 
 期待するというとは1のつ理想を押しつけることになります。
 だから、その理想から少しでも外れてしまうと、もうそこには大なり小なり不満が生まれるわけです。
 
 そして、期待が膨らむほどに達成条件は難しくなり、理想から外れやすくなっていきます。
 他者への不満が多いということは期待をしすぎなのです。
 

期待しないのは冷たい人?

 期待しない。
 
 そう言うと、とても冷たくて非人間的な響きを感じるかもしれません。
 誰も信頼せず、心を閉ざして自分の世界だけで過ごしている。
 
 あるいは期待しなければ、裏切られなくて済む。
 そんな後ろ向きなイメージがあるでしょうか。
 
 私が言いたいのはそういうことではありません。
 
 期待をしないことで、自分も他者も自由に解放してあげようとしているわけです。
 

自他を尊重する

 期待しないということは、ありのままのその人を受け入れるということです。
 
 思い通りに動いていくれない相手を受容する。
 相手にも意志があるという当たり前の事実を再確認する。
 
 そして、それは他者に対してだけではありません。
 
 自分に対してもそうです。 
 
 立てた計画通りに行動できない自分を許せない。
 心のどこかで自分ならそれくらいできるという甘酸っぱい期待感に浸っていなかったでしょうか?
 
 そんな自分も受け入れる。
 
 ただ、「期待しない」ことと「甘い」とは私の中で認識が違います。
「甘い」とは幕引きです。諦めて、仕方なかったと妥協します。
 
 逆に「期待しない」というのはスタートです。
 そのできなかった事実を受け止めたところから始まるのです。
 

けれど、私は期待する

期待しないことを0として

 冒頭の言葉と矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、私は今でも期待します。
 むしろ、以前よりも自分に対しても他者に対しても期待するようになりました。
 
 私がしなくなったのは無駄な期待です。

裏切られる覚悟をする

 前述の通り、期待するということは、裏切られる可能性が発生します。
 
 だったら、始めから裏切られる覚悟をして期待すればいい。
 そうすれば、いちいち傷つかなくて済みます。
 
 ともすれば自虐的な行為に見えますが、だからこそ期待するということへの本気度が変わります。
 この人になら裏切られても良いと思いながら関わると、関係性の質が変わってきます。
 
 そして、それがきっかけで相手に感謝されるようなことがあっても、別に見返りを求めているわけではないので自然体のままでいられる。
 これが私の中ではとても大きかったように思います。

 Giveの精神などと言葉は知っていても、それを実感するまでに随分時間がかかりました。
 それでも辿りつけただけでもありがたいことです。
 
 
 
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