ヨガはできる人がやるのではなく、できないからこそやります。
そして、既にヨガをやっている人も怪我をしたり、仕事が忙しかったりでふとヨガが途切れてしまうことがあります。
再開するきっかけがなくてそのままフェードアウトしてしまう。
その理由も「知りたくない」のではないかと私は思います。
本当にやりたいなら、また始めればいい。
だけど、怖いんじゃないでしょうか?
ポーズは大事じゃないという理由
休んでいる間に鈍った自分の身体を知ることが、積み上げたものが失われていることを知るのが怖ろしい。
わかりやすい結果の一部(ポーズができるか否か、痩せたか否か)を求めて、ヨガをやっているとそういうことが起こります。
それはフィットネスやスポーツと一緒です。
痩せるため、あるいは競技で良い成績をとるために行う。
例えば、ヨガで難しいポーズができました。
だからなんなのでしょう?
ポーズを競う大会があって、そこで優勝したら賞金でももらえるんですか?
ポーズができることで得をするなんてことはまずありません。
そもそも、日常生活のどの場面であんな奇妙なポーズをする機会があるのでしょうか。
ポーズは手段でしかありません。
それを目的やゴールにしてしまったら、ちょっとでも上手くいかなった時にやる気を失ってしまいます。
癖を知るための型を学ぶ
人間にはそれぞれ癖があります。
そして、なにかをする時には必ず動きが伴います。
話す時には口が動き、身振り手振りがつく。
頭を働かせる時だって頭やアゴを触ったりしませんか?
身体の動きには、自分の癖が宿っています。
だから、ポーズはその癖を知るために行います。
そして、身体と心は繋がっている以上は身体の癖は心の癖とも繋がっています。
つまり、ヨガを通して心身の癖を学びたいのです。
自分が「できない、知りたくない」と思っていることをができるようになるまでのプロセスを、
1度止めてしまったものを再開するプロセスを、学び活かしたいのです。
「できないパターン」はあなたの他のことにも通じることです。
勉強や仕事、人付き合いの仕方、同じようなことが起こってませんか?
例えば、些細なことでも友人と喧嘩してしまったら、そのまま連絡を取らなくなってしまう。
それってヨガを再開するきっかけがないままフェードアウトするのと似ていませんか?
だから、もしヨガを再開することができたら、そのプロセスは自分の友人関係にも活かせるはずです。
結果もまた大事ですが、結果だけを見ているとそうした自分の陥りやすいパターンは抜け落ちてしまいます。
「できたらおしまい、できなかったやり直し」じゃない。
できるも、できないも大きな流れの中での一部に過ぎません。
できないと耳を塞ぐのではなく、知ることを恐れず、感じていきましょう。
そして、あなたの癖を私が知っても仕方ありません。
あなた自身が自分の癖を知ることに意味があるのです。