先日、要求に関する記事を書いて、まさに子どもの要求が現れた場面に出くわしました。
親子の風景
街中を歩いている時に僕の前を4人家族が歩いていました。
小学生低学年のお兄ちゃんと幼稚園児の弟の手をそれぞれ、お父さんとお母さんが握って歩いていました。
不意にお兄ちゃんの方が歩いている最中に躓きました。
しかし、手を握っているので転ぶことはなく、お父さんが「おっと、大丈夫かー」と言って助け起こしていました。
ここまではなんでもない光景です。
しかし、その後が面白かった。
後ろで見ていた、幼稚園児の弟がすぐその後でお兄ちゃんと同じように躓きました。
それが偶然なのか、わざとなのかはわかりません。ただ、動きをなぞるような躓き方でした。
当然お母さんが手を握っているので、こちらも転ぶ心配はありません。
「あら、危ないー」と言って笑っていました。
そして弟の方はお母さんの顔をじぃーっと見上げていました。
そして、1分と経たないうちにまた弟は同じように躓きました。
今度はさっきよりも大袈裟に、尻餅を着いてしまった。
「こら、わざとでしょ。やめてよね」
お母さんは軽く叱りました。
その後、弟はもう躓くことはありませんでした。
自分の要求はどこに向いている?
これが注意喚起の欲求か、と僕は感動にも似た想いを懐きました。
お母さんとお父さんはどこかお店でも探していたのか、2人で話し合っていてあまり子どもに注意を向けていませんでした。
そこで、自分に注意を向けられていないことで物足りなさを感じていたのでしょう。
だから、弟くんは同じことを繰り返したのでしょう。
そして、お母さんが自分に注意を向けてくれたことで満足して、もう躓くことはなくなったのだと思います。
非常に面白い光景でした。
幼児のかわいい失敗ですみますが、こういう欲求が満たされないままだと悪戯小僧になるのでしょうね。
自分の要求についても考えさられます。
ついやってしまう行為・癖には、どんな欲求があるのだろう?
そんな風に考えてみると自分の意外な側面が見えてくるかもしれません。