「なんであんなことをしてしまったのだろう?」
そんなことを思うことがありませんか?
自分の本心とは違うような振る舞いをしてしまう。でも、そこには理由があるのです。
要求を理解する
人間が行動を起こす時には必ず要求があります。
目的と言い換えても良いかもしれませんが、この要求とは無意識的なものが多いです。
例えば、小さい子どもはお手伝いをしたと思ったら、間をおかずに悪戯を仕掛けることがあります。
どちらもその根底にあるのは「構ってほしい」という要求です。
しかし、お手伝いをしてもちゃんと褒めてもらえなかったので、今度は悪戯をして構ってもらおうとするわけです。
裏にある要求を無視して、表面をなぞって反応してしまうと、おかしなことになります。
子どもの例で言えば、悪戯ばかりして、構ってもらおうとするようになるわけです。
逆に要求を満たせば、行動は自然と変わってきます。「痩せたい」の間に隠れている要求が「ちやほやされたい」ならば、恋人ができた途端にダイエットがどうでも良くなるなんてことがあるのです。
要求を見極めるために待つ
ただ、現代はマーケティングや心理学の発展もあり、CMやチラシなど私たちの要求を刺激するようなものがたくさんあります。
そのため、自分の内から起こる要求であるのか、それとも外からかきたてられた要求なのかよくわからなくなっています。
だから、それを見極める必要があります。
自分の内から起こる要求は時間を置いてもなくなっていきません。
しかし、そうではないものはだんだんとどうでも良くなってきます。限定商品が買えないとその時は悔しいですが、その後の人生でもずっと悔やみ続けることはないでしょう。
だから、「なにかをしたい、欲しい」と要求が起こった時に待ってみることは効果的です。
それが本物の要求であれば、一旦売り場を出て、別の場所を巡った後でも、舞い戻って買うでしょう。しかし、おそらく面倒さが勝るはずです。実は、迷いが生まれる時点で「〜したい」は偽物であることが多いです。
だって、飢餓状態であれば、お菓子だろうが、カロリーの高いものだろうが迷いなく手を伸ばすでしょう?
受け止めてから、対応する
自分の内から起こる要求というのは、些細なことでも本人にとっては必要なものです。
だから既に書いたように、満たされるまで無くならないのです。
それを拒絶したり、見ないふりをしたりしても形を変えて出てくるだけです。しかも、だんだん極端に、こじれて表れるようになってきます。
したがって、まずは受け止めてあげなければいけません。
それは自分も他人も一緒です。そのためには「観察する、聴く」ということが大事になってきます。
悪口ばかり言っている人の要求はなんなのか?
出会った瞬間にわかることはまずありませんので、行動を見て、話を聴いていく。要求がわかれば、あとはその要求を満たしてあげれば悪口もピタリと止みます。
その力を自らに活かせば、ヨガでいう内観するということに繋がるのです。
同じ失敗を繰り返すのならば、そこにどんな欲求があるのかを知ろうとすることです。
きっと根本的な解決方法がわかってくるでしょう。