あやふやな感覚と共にあること

感覚の共有
 オンラインヨガの本田信英です。

 ちょっと前にとてもリアルな夢を見ました。
 僕は普段全然夢を見ない(覚えていない)のですが、先日は克明に夢を覚えていました。

あやふやである感覚

 大まかに書くと、知らない人のものを壊してしまって弁償しようとしたら超高額だったという話。

 内容そのものよりも細かい風景までしっかり覚えていて、しかも自分の感覚がとても生々しかったことに衝撃を覚えました。

 あまりにも現実に近くて、起きてからも「これから長い時間かけて返済していくんだ」と真剣に悩んでいました。
 だけど、10分くらい経ってようやく辻褄が合わないことに気づいて、夢であったことに気づきました。
 気づいた後もなんだかドキドキして、かつてないほどにふわふわした寝起きでした。

 感情とか感覚とかって簡単に騙されてしまうんだなと痛感しました。

 机の上のバッグに自分の身体が当たった瞬間の角ばった感触。 床に落ちて、「バキッ!」となにかが折れた音。
 そしてその瞬間に湧き上がってきた焦り。金額を告げられた時の絶望感。

 こびりついたそれらの生々しい身体の感覚がまだ抜け落ちてなくて、あれがただの夢だったなんて未だに信じられません。

 僕はずっと感覚を大事にしてきたんですが、それはすごくあやふやです。
 錯視やら吊り橋効果みたいにいとも簡単に操られて、騙されてしまうものです。

 そんな頼りないものをなんで信じたって仕方ないと思うかもしれません。

 ただ、それが人間なんですよね。
 そういう不安定さと揺らぎを抱えているものが人間なんです。
 自分でまっすぐな姿勢だと信じて疑わないものが実は傾いているわけです。

 あなたは間違っている。だから直せ。
 そうやって正論を突きつけてもなかなか通じないんです。
 
 だから、相手の感じている世界を理解しようとするところから始める必要があります。

感覚を受け止めて、ずらしていく

 この前、子どもと接していた時のことです。
 その子は見本があるものを真似る時に必ずといっていいほどミスをしてしまいます。
 そこで、「もっとよく見なさい」と声をかけてみるのですが、それではなにも変わらないのです。

 なぜかといえば、その子にとっては「よく見た」上で間違っているからです。
 だから、本人からすれば否定されたような気分になるだけで逆効果でしょう。

 そこで、「2回確認しなさい。1回目は見なかったところを特によく見て」言葉を変えました。
 そうしたら、その子はミスがなくなりました。

 相手の感覚を否定して壊してから自分色に染めようとするのではなく、一旦受け止めてから少しずらす。
 そういうことが大事なんだな、と思った瞬間でした。
 

感覚を触れ合わせること

ご飯一杯

「相手を理解することは難しい」
 そう言われるのですが、そういう時に起こっていることって感覚の共有ができていないんですよね。

 例えば、茶碗にご飯を一杯よそう。
 そういう時に、他者によそってもらうと物足りなかったり逆に多かったりします。

 その人にとっての一杯がその量なので、いちいち確認しません。
 けれど、その前提部分のすれ違いを放置しておけば溝は深まる一方でしょう。

 だからこそ、最初にしっかりと感覚をすり合わせをしていくのです。
 身体の大きさや年齢によっても食べる量は違って当たり前です。 

 なにが正しいかと感じることはあまり意味がないのでしょう。
 ただ、「どう感じるか」という事実だけがある。

 私はこう感じた。あなたはそう感じた。
 握手をするように感覚を触れ合わせて、だからとって混ぜ合わせることなく、別個のものとして存在している。
 ただ、1度触れ合わせておくだけでちょっとした安心感が生まれます。
 
 だから、まずは相手がなにをどう感じているのだろう、というところから人と人との関わりは生まれてくるのだ等と思うのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする