従って、人間が生きているという面に一番大事なことは、知識以前の問題、技術以前の問題、あるいは自然にある本能といいますか、そういう力、そういう働きの問題であります。(P13)
僕が野口整体と出会ったのは、野口創始者の野口晴哉の次男、野口裕之さんの講演兼体験会でした。
ひょんなご縁で誘っていただいて顔を出したら、摩訶不思議さに頭がまったくついていけませんでした。
当時、僕はようやく感覚をひらきたいという欲求をいだいたばかりでした。
だからまだ閉ざされた僕の感覚では、その場で起こっていることは全然わかりません。
けれど、なんだか自分の身体の内側が揺さぶられる感覚だけは確かにありました。
記憶はおぼろげですが、「これはすごいぞ!」と確かに思いました。
その後、何冊か本を読んでみて活元運動をやってみたりもしました。
ただ、まだ当時の僕ではその凄さを体感できないまま今に至ります。
先日、この『整体法の基礎』という本を手に入れまして、久々の野口整体の本として読んだら魅了されてしまいました。
この数年間で触れてきたヨガや様々なボディワークで蓄積されたものが、ぎゅっと凝縮された一冊でした。
わからなくたってできるし、困らない
僕はどうやって食べ物を噛むのかがわかりません。
身体の構造の話をしているのではなくて、動かし方つまり噛む時にどこの筋肉に力を入れて噛むのか、みたいなことがわからないわけです。
食べ物を口に入れたら、もう噛んでいて、飲み込んでくれます。
そして、勝手に消化吸収して、排泄します。
自分の身体の中で起こっていることを全然把握していないのに、僕は生きている。
辛い時に死にたいと思っても怖くてそんなことはできなかったのに、「僕は生きよう!」とわざわざ思ったことはないのに、ここまで生きている。
ものすごいことじゃないですか。
生かされている、という感覚はあるわけです。
なにに? と問われると「本能に」という答えしかできない。
本能では、鼻歌をうたいながら人間を丸ごと作っているのです。十二指腸がどこにあるかも判らない人が、ちゃんと十二指腸を付けた子供を作るのですから、これはどう考えても不思議です。知識を尽しても出来ない事を、本能では簡単にやってしまう。(P13)
誰でもできることに終始する
野口整体のなにが素敵かといえば、活元運動を誰にでもできるものとして落とし込んだことです。
活元運動とは
生を全うしようとする人間の裡にある力をより敏感にするための錐体外路系を利用した自己訓練法。(整体協会HP)
意識ではない錐体外路系(無意識)の動きに任せていく動きなので、その時必要な動作が必要なぶんだけ出るというものです。
身体の内から出てくるので、誰かに教えてもらう必要はありません。
技術とか知識とか、方法論って自分のものにしてしまうんですよね。
そうした方が利益が出るし、自分の立場が脅かされることもありません。
だから、段階を設けるのだと思います。必要な時に必要なものだけ与えていく。
ここまできたら次ですね、と。初球から上級へ。次がありますよ。
一見優しいようでいて、それは自分で感じ、考える力を奪っているように思います。
だって、評価・判断してくれる人がいなければなにもできないように仕向けているからです。
僕自身はそうならないようにと心掛けているのですが、それでも独り占めしたくなる時があります。
でも、活元運動は1つです。そこには上も下もなくて、それだけやっていればいい。
しかも内側から起こるので、ただ任せておけばいい。
そのシンプルな、それでいて洗練された唯一のものがあるということがすごく魅力的なのです。
水滴のようにじわじわと
ヨガやっていても、やっぱり難しいポーズができるようになることが上級者みたいなところがあって、慣れてくるとどんどんそういう方向性にいくのですが、本当にそうだろうか、と疑問が浮かんできます。
物足りないというのは、物足りない程度にしかやっていないということじゃないか?
合格点みたいなものが、それを満たせば次にいけるみたいなシステムが身体のどこにあるんだろう?
次に進んだら偉いのだろうか?
同じ動作の中にもっと深められる要素はないか。
・もっと力を抜くことはできないか。
・もっと滑らかに動けないか。
・もっと呼吸を深められないか。
布に垂らした水のようにじわじわと広がっていく。
身体の感覚ってそうやって広がっていくものでしょう?
あるところまで行ったら、別のステージにいくみたいなやり方は僕の考え方とは違っていて、だからオンラインヨガではいつまでもシンプルなこととか同じことを繰り返しています。
そして、それを30年40年と続けられたら、否が応でも感覚は拡張され、身体はしなやかになっていくでしょう。
そのために、今やっていることをずっと続けられるでしょうか。
しかも、年齢と肉体のことを考えた上でです。
僕は続けられると思っています。
このオンラインヨガ自体がいつまで続くかはわかりませんが、僕個人としては30年後も今みたいに身体を動かしているでしょう。
ちょうどいいを見つける
本書を読んで、人間は「ちょうどいい」をみつけられるかが重要だと思いました。
活元運動は十分に行われると、勝手におさまっていきます。
けれど、僕達の日常生活はどうでしょう。
自分にとって過不足のない状態を維持することはとても難しいです。
食事1つとっても、物足りなさをおぼえたり、食べ過ぎたと感じたり。
他者に対して、手を差し伸べるのか突き放すのか。
寝すぎたり、寝不足になったり。
ちょうどいい、がわからない。
そのちょうどよさをみつけられるようになっていくことで心身が楽になっていくのでしょう。
ちなみに、本書『整体法の基礎』は市販されていません。
興味のある方は全生社のHPよりお問い合わせください。