オンラインヨガの本田信英です。
生活の中で他者と関わっていると、どうしても他人のできなさに向き合う瞬間があります。
自分が当たり前にできることを相手はできない。
すると、感情が波立つものです。
けれど、そうした感情が湧き起こるのはある種の成長なのかもしれません。
自分ができるから苛立つ
「なんであいつは話を聴かないんだ!」
ある子どもが声を荒げていました。全然話を聴かない別の子に対して苛立っていたのです。
それを横で聴いていて、僕は驚きました。
なぜかというと、一年前はその子自身が話を聴かなかったからです。
人の話を平気で遮ったり、関係ないことを突然言いだしたり。
そういうことをしていた子が、話を聴かない相手に対して憤っているわけです。
それは自分ができるようになったから、もどかしさを感じるようになっているのでしょう。
これが幼児同士だと、お互いに話を聴かずに好き勝手話しているだけなので、どちらもイライラすることはありません。
大人でも同じで、仕事でも新人同士では苛立ちを感じることはありません。
しかしある程度仕事がわかってくると、他の人の要領の悪さややり方の違いが目につくようになります。
それは1つの通過儀礼のようなものです。
だれかのできなさに直面するということは、自分は次のステップに移ったという証です。
苛立った時の対処法
だから、もし誰かの行為に苛立ちを感じたら、自分に意識を向ければいいのです。
例えば、電車やバスで騒いでいる人がいたとして、その相手に目くじらを立てても気分が悪くなる一方です。
けれど、「自分はどうだ?」と考えてみれば、自分はマナーを守って、過ごすことができる。
その確認をするだけで、それで心がスッと楽になります。
ただ、そこで優越感にひたるとややこしくなってしまうので、確認を行うだけにとどめます。
間違っても感情に集中してはいけません。
意識を向けるということはそこに集中することです。だから、苛立ちに意識を向ければ、どんどんイライラは膨れあがっていきます。
自分の問題としてとらえる
結局のところ、相手を変えるのは難しいです。
変えようとすれば抵抗が起こります。
それでもなお無理やり変えようとすれば、行動は変わるかもしれませんが、表面だけ取りつくろって、しこりがのこることになります。
だから、何事も自分ごととして考えるようにつとめましょう。
相手の問題だと捉えた瞬間に、「私」ができることはなくなります。
相手が悪い、相手が変わるべきだ、と考えるよりも、自分の問題だと考えた方が楽です。
考えてみれば、苛立ちの感情を懐いているのは自分自身です。
相手じゃないんですよね。
自分のことだったら、自分次第では変えられます。
そのために物事のとらえ方を変えていく。
それもガラリと変えようとしてもやっぱり上手くいきませんので、ずらしていくのです。
苛立ちを感じるのは自分が成長した証。
それを喜んでいく。
そして、その成長を感じさせてくれたのですから、ちょっと優しく接してあげようという気分になりませんか?