オンラインヨガの本田信英です。
先日お休みをいただいて、ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました。
1年以上前から知っていて、ずっと行きたいと思っていました。
しかし、なかなか行ける機会がありませんでした。
前日HPを確認したらたまたまキャンセルが出ていて、滑り込みで参加できたのはまさに幸運以外の何物でもありません。
しかも、一般参加者対象の最終日です。
参加した後でも、その気持ちに変わりはありません。
素晴らしい体験をさせていただきました。
忘れないうちにそれを記しておきます。
なお、今回書くのは私が体験して感じたことです。
なにをやったかは具体的に書かないように努めたいと思います。
体験しないとわからない内容ではありますが、ネタバレしたら面白くないですからね。
いくつかのバリエーションはありますが、今回はファイナルバージョンに参加しました。
※2017/08/31を持って、ダイアログ・イン・ザ・ダーク外苑前会場は閉鎖しました。
別会場への移設のため、現在クラウドファンディングを行なっています。
見えない不安と安心感
真っ暗闇と聞いて、「怖いのかな」というのが始まるまでの僕の印象でした。
それはある意味であっていたし、同時に間違っていました。
光がなくなった時、真っ先におそってきたのは不安であり、安心感でした。
目の前にかざした手すらも見えない世界。
周囲の人の声は聞こえますが、取り残されたような気分になりました。
でも、同時にかすかに湧いてきたのは安心感。
「ああ、これで取りつくろわなくてすむ」
見ることができないということは見られなくてすむことでもあります。
意識していなくても、自分は他者の視線にさらされていたのだと痛感した瞬間でもありました。
ましてや東京という慣れない土地なので、あまりの人の多さにいつも以上に過敏になっていたのかもしれません。
初対面の人と触れ合う奇妙で心地よい体験
8人のグループで体験するのですが、はぐれてしまったら大変なので、身を寄せ合い、声をかけあいます。
僕が参加したのは、たまたま全員が初対面のグループでした。
会って数分の人と肩がぶつかるほどの距離で手を触れ合わせるなんてことは普段ありません。
だから、思わず笑ってしまうほどに奇妙な体験で、同時に不思議と心地よさがありました。
他の方と背中を合わせた時に、とても温かくて、話す内容そっちのけでその温度に感動をした覚えがあります。
それは薄闇などで触れる人肌とは違っていて、1度離れてしまえば、そのまま消えてしまいそうな儚さがありました。
わからない嬉しさ。弾ける好奇心
それがたとえ知っているものだとしても、見えないだけで「得体の知れなさ」が出てきます。
なにがどこにあるかわからない世界というのは新鮮です。
暗闇に慣れてくるとだんだん楽しくなってきて、色んなことをしたくなります。
しゃがんで地面の材質を触ってみたり。
匂いを嗅いでみたり。
耳をそばだててみたり。
周りにあるものをくわえてみたり。
僕はたしか中盤から後半にかけてはずっと笑っていたと思います。
わからないことだらけの世界はなんだかとても楽しくて、子どもに戻ったような気分でした。
ダメと言われながら、やってみたくなる子どもの気持ちがとてもよくわかりました。
何気ない話の積み重ねが関係性を築く
他の人がなにをしているかわからないので、下手な動きをしてしまうとぶつかって怪我をする可能性もあります。
だから、お互いに頻繁に声かけをします。
自分がしゃがむ時は「しゃがみます!」と声をかける。
立ち上がる時も同様です。
時間中、ずっと誰かが喋っていました。
そのおかげか、どんどん関係性が築かれていった感覚がありました。
「深い話」なんてのはありません。
「足元危ないんで注意してください」とかその程度の話です。
平田オリザさんが
”対話とは、あまり親しくない人同士の価値や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその摺り合わせなど。”
と言っているのですが、まさしくあの時、対話していたと思います。
関係性を築く時に、相手を深く掘ることも大事だけど、まずは情報を共有したりするだけでいいんだよなぁ。
環境の影響力
協力せざるをえない状況に置かれたとき、人は協力する。
それを痛感しました。
だから、うまく機能していないグループや組織は「思わず協力してしまう」環境が整っていないのかも知れません。
人の関係性に対する働きかけも必要だけど、それを取り巻く環境にアプローチしていくことをおろそかにしてはいけませんね。
そして、同時に環境が強者と弱者を生み出すようにも感じました。
ある環境では輝く人が別の環境では埋もれてしまう。もちろんその真逆も起こりうる。
どうやったら、すべての人を活かせる環境を整えることができるのでしょう?
祭りの後の切なさ
90分の体験は本当にあっという間で、体感としては半分くらいの時間で終わってしまいました。
楽しくて仕方なかったのですが、終わった後で残ったのは切なさでした。
暗闇では身を寄せて協力していた人達が光の下に帰ってきたら、途端に我に返っていました。
それは開始直後と比べたら幾分かマシだったけれど、暗闇と比べれば明らかな後退でした。
もちろん話はするけれども、どこかよそよそしさをはらんでいました。
僕自身もその例外でなく、今まであったはずのつながりがプツッと切れてしまったような感覚で、半ば途方に暮れていました。
見えることで確実に先入観はできてしまう。
そこにどうしようもなく、やるせないものを覚えてしまいます。
だからと言って、僕は自分の目を潰そうなんて考えを抱くことはありません。やっぱり見えることで得られるものもあるから。
アテンドも含めて、一緒にやることができた方々の顔を見られるってやっぱりそれはそれで喜びなんですよね。
終えた後で
「見えないから他の能力が発達しているわけじゃない。普通の人ですよ」
アテンドの方が最後に言った台詞が残っています。
そこに僕の解釈は必要ないでしょう。
終わった後で、満員電車に乗りました。
人の顔と身体に押しつぶされそうになるのは居心地が悪く、知らず知らず身体が緊張します。
ああ、でも知らない人が近くにいるからそう感じるわけじゃないんだ。
だって、僕は知らない人達と暗闇で身を寄せ合っていたじゃないか。
じゃあ、一体なにがそんなにも不快に感じているのだろう?
電車のブレーキ音とともに、そんな疑問を抱いたのでした。