オンラインヨガの本田信英です。
ここ1年くらい、PCやノートにメモをたくさん取るようにしています。
その場その瞬間感じたことを些細なことから誰にも言えないようなことまで、記憶の確かなうちに記録しておきます。
すると、生の情報だけでなく、後になって冷静に振り返ることもできるので、とても重宝しています。
最近のメモを読み返していたら、前回の記事にも関連することが出てきました。
人と関わることでなにを証明したいのか?
しっかりと話を聴き、そして言葉を尽くして伝えているにも関わらず、チグハグな印象を受ける時があります。
こちらの言葉が相手に届かなくて、相手からの言葉も理解できない。
専門知識が必要な話をしているわけでもないのに、そうした状況が起こってしまうことに疑問を感じていました。
もしや自分の理解力が悪いのか、と共通の知人にも尋ねてみると、僕と同じように感じていることがわかりました。
同じ日本語を使っているのに、そこまでくい違いが生じてしまうのはなぜだろう?
メモを記した当時の僕はそこまでで止まっていました。
今ならば検討がつきます。
「なんのためにコミュニケーションを取るのか」という部分が違うのでしょう。
僕は相手を知りたくて、また知ってほしいと願って人と関わっているつもりです。
一方で、自分の有能さを証明するためにコミュニケーションをとる人や場合があります。
特に仕事の場面だと、弱みを見せてはいけない風潮があるようで、自分の意見を押し通すことに躍起になる。
相手の言っていることを受け入れる姿勢がそもそもなければ、それはくい違いが起こるの当然です。
逆に自分の無能さを証明しようとする人もいます。
そうした人にどれだけ長所を伝えてみても、それは受け入れてもらえません。
だって、本人からするとそれを認めてしまったら目的が果たせなくなってしまいます。
お互いが伝えること、受け入れることをできなければ、コミュニケーションは成立しないのでしょう。
だから、チグハグな会話に出会った時に僕は考えるようにしています。
「(わたしorあなた)は今、人と関わることでなにを証明しようとしているんだろうか?」
必ずしも、相手に原因があるとは限らないので、自分自身にも問いかけることが大事です。
そうやって2人の間のくい違いを見つけられたら、いくらでも次の手が打てます。
チグハグだけどどうしていいのかわからない、と立ち止まってしまうのは表面的な言葉以前の問題です。
そういう時はシンプルに一歩下がってみればいい。
わからなくても通じる
言葉を使ってはいけないワークをしたことがあります。
一緒にワークをしたうちの1人が終わった後に言いました。
「やっぱり言葉って大事だよね。言葉がないとコミュニケーションができない」
その言葉を聞いた時に、僕は首を傾げました。
むしろ、僕達が言葉に頼りすぎているだけじゃないのだろうか?
言葉が通じてすぎてしまうが故に起こっている問題のように思えました。
「この人はなにを証明しようとしているのだろう?」
そうやって問いを立ててみると、その人はワークの最中に身振り手振りを使う様子もなく、もどかしそうにしているのを思い出しました。
喋れないことで、コミュニケーションを諦めてしまっていましたのかもしれません。
けれど、海外に行けば隣人が自分とは違う言語を喋るなんてことは珍しくないことです。
そうした場所で、言葉が通じないから諦めていたら、食事もなくて餓死してしまいます。
付き合い始めのカップルは嬉しそうに恥ずかしそうに、無言で見つめ合っています。
想いが通じているとは言わないまでも、そこにはなんらかの意志疎通が行われています。
視線のやりとりだけでも、通じることがあるんですよね。
だから、わからなくても通じると信じて伝えようとして、受け取ろうとする意志をもつことから始めましょう。