気づきを腐らせないための問い

イグアナ

オンラインヨガの本田信英です。

 先日、コミュニケーションにまつわる講座に行ってきたら、言葉を失ってしまいました。
 言語化して伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が喉でつっかえて出てこなくなってしまいました。
 
 この記事も本当はもっと早くに書き始めたかったのですが、文がまとまらずに放置していました。
 時間の経過とともにようやく自分の中で落ち着いてきたので、記憶が残っているうちに記しておこうと思います。
 

コミュニケーションを学ぶ理由

 僕はしばしば人間関係の講座に参加します。
 すると時折、尋ねられることがあります。
  
「なんでヨガやっている人がコミュニケーションを学ぶんですか?」
  
 一見すると、あまり関係のないことのように思われるようです。
 けれど、僕からするとものすごく密接に繋がっていることです。それは単なるお客さんと接するためのスキルとしてではありません。
 
 
 僕にとってのヨガとは、「自分との対話の手段」です。
 美容、癒し、健康。そんなイメージがついて回りますが、それは付随する結果でしかありません。自らのうちにあるものをいかに引き出せるか、そのプロセスの方を重視しています。

 身体を動かしてみると、どこかに緊張やゆがみを感じることができます。
「どうしたら、ほぐれるだろうか?」
「なんでここが緊張しているんだろう?」
 そうやって探っていくことで、単に身体を変えるのではない。
 身体を通して学んでいます。
  
 だから、コミュニケーション(対話)を学ぶことは、助けになります。
 他者との関わりは、そのまま自分との関わり方にも使えるからです。
  

コミュニケーションは楽しい

 今回、印象的だったのは「私=あなたではコミュニケーションの楽しさがなくなってしまう」と講師の方がおっしゃったことでした。
 お互いのことが考えていることが通じていて、次なにが起こるのかがわかってしまったら、予定調和になってしまう。そして、相手のことを全部知っているならば、「相手を知りたい」と思う意欲もなくなってしまう。
 
 僕にとって衝撃的だったのは、「コミュニケーションって楽しいものなんだ」ということでした。
 
「楽しさ」の観点で、僕は人との関わりを考えたことがありませんでした。
 もちろん親しい人との会話や面白い話題で楽しい、と感じる瞬間はありますが、「関わることそのものが楽しい」という視点はありませんでした。
  
 違いがあるからもどかしいのではなく、違いがあるからこそ楽しい。
 それはとても新鮮な風を僕の中に吹き込んで、同時に新たな疑問を残していきました。
 
 本来楽しいはずのコミュニケーションを億劫に感じたり、退屈で早く終わらせたいと感じる時があるのはなんでだろう?
 

言葉を失うほどに埋め尽くされた問い

問う 
 そんな具合で、一旦考え始めるとたくさんの「?」が頭を巡っていました。

 僕は、目の前の人とのコミュニケーションを楽しめているだろうか?
 なぜ、判断する前に一言確認できないのだろうか?
 なぜ僕は、思っていたことと違う振る舞いをしてしまうのか?
 なぜ僕は、自分の良さを、本質を隠してしまうのか?
 なぜ僕は、自分の価値観の中で、他者を評価してしまうのだろうか?
 もし、評価しなかったとしたら一体どんな変化が起こるだろう?
 相手に「気づかせてあげる」必要はあるのか?
 スムーズに課題をこなせることが果たして、良いことなのか? そこに納得はあるのか?
 なぜ、課題や問題があると2口目には「解決法は?」になってしまうのだろうか?
 苦手な人のなにが苦手なんだろうか?  そして、「苦手な人とのやりとり(コミュニケーション)」まで苦手になる必要はあるだろうか?
 僕に思い込みがあるとしたら、それはどんな思い込みがあるだろうか?
 必ずしも、人の話は表情豊かに聴く必要はあるのか?
 
 ざっとメモをしていただけでもこれだけの問いが生まれてきました。
 自分に対するものも他者に対するものもごちゃ混ぜで、なにから考えていいのかもわかりませんでした。
 
 そうして僕の思考回路はショートしてしまい、言葉をつむぐことができなくなっていました。
  
 

気づきを繋げる問い

なにかを見つける子ども

 ただ、時間が経過して落ち着いてくると共に、これは悪くなかったなと感じるようになりました。
 
 安心・安全に配慮されて、設計された場ではたくさんの「気づき」が生まれてきます。
 けれども、「気づき」というものは、その場で完結してしまいがちです。
「◯◯が大切だ」と感じたとしても、日常に戻ると知らぬ間に記憶の隅に追いやられてしまいます。
 
 気づいただけでは、その先はないんですよね。
 だから次々とやってくる雑事の前に埋没して、なかったかのようにされてしまう。
 それは非常にもったいないことです。
  
 けれど、気づきが問いの形で浮かんでくると、人間は回答を探そうとします。 
 
 僕は未だに上記の疑問を抱えたまま生活しています。  
 誰かと接する時も自問しながら関わっています。
 
 結果的にそれは日常に落とし込まれていると言えるでしょう。
 気づきを日常に繋げることって、「問いを持つ」ってことなのかもしれません。
 
 もちろん僕みたいにいくつも抱えてしまうと大変なので、1つでもいいと思います。
 でも、自分の行動が変わるような大事な問いを持っておく。

 変化を望むならば、そうやって自分の生活をちょっとずつずらして変えていけばいいのだと思います。
 
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