「足す」よりも「引く」

積み重なる数字
オンラインヨガの本田信英です。

先日、大学生相手にインタビューゲームをやらせていただく機会がありました。

↓インタビューゲームについてはこちら↓

100人とインタビューゲームをやる理由
  オンラインヨガの本田信英です。 僕は現在、100人とインタビューゲームをしようと活動しています。 人数が増えてきて、なんでそれをするのかと尋ねられることが多...

 その中で、わかったこととして、学生達は興味のない話はすぐに寝てしまうんですね。
 特に単位を取るために受講している学生は、少しでも退屈な話を始めると船を漕ぎ始めます。

 その経験から感じたことは「なにをするか」よりも「なにをしないか」ということでした。

 どれだけ熱い想いや学んで欲しいことがあったとしても、相手が求めていないことだったら聞き逃されてしまいます。
 だから、濃厚な内容を盛り込んでみたところで、一向に伝わらないということが起こって来ます。

 こちらの意図に添わせようとすればするほどに、そこに意識的、無意識的な反発が生まれてしまう。
 ならば、しないことを決めてしまえばいい。

 僕が話して伝えようとするから、退屈に感じて私語をしてしまうし、寝てしまう。
 だったら、僕が喋らずに学生さん達に喋ってもらえばいい。

 そうしたら私語ではなくなるし、注意をする必要もなくなる。
 各々が交流の中で得たものを学びとして持って帰ったら、お互いにとってハッピーですよね。
 もちろん、それが一筋縄にいくとは言えませんが、「なにをしないか」を決めてしまえば、あとは試行錯誤の余地は生まれてきます。

足すより、引く

 僕達は油断すると不足しているものの方を向いてしまいます。
 それは消費社会の中で、知らず知らず根づいて身に染みついたものでしょう。

 足りないものを指摘して、不安を煽った方がものやサービスが売れます。

 あなたはこれが不足しています。
 だからこれをどうぞ、と言われたら思わず手が伸びてしまいます。

「これからの時代は英語やプログラミングの能力がないと生きていけない」
 そう言われると、親心としては子どもに習い事をやらせてあげなければいけないと感じるのも無理はありません。

 それは子どもに限った話ではなく、大人だってそうです。

 美しさが足りないからエステに行く。
 栄養が足りないから、サプリを飲む。
 休息が足りないから、旅行に出かける。

 不足しているものに焦点を当てて、それを補うために「なにをやるか」と足すことばかり考えています。
 けれど、それじゃあなかなか楽にならないどころか、心身も自分の懐も苦しくなってくる一方です。

 だって、それは片っ端から調味料を入れた料理を食べて「この不味い料理になにを入れれば美味しくなるだろう?」と考えるようなものです。
 既に過剰なのだから、必要なのは新しく調味料を増やすことじゃなくて、むしろその調味料をなくしていくことでしょう。

 ただ、1度作った料理から調味料を取り除くって至難の業です。
 だから、足すよりも前に、まずは引く、つまり「なぜそれをする必要があるんだろうか?」と問うことって重要だと思います。

「しない」ことで、可能性を信じる

お絵かきする子ども
 そんな出来事のあとで、久々に甥っ子に会いました。
 まだ2歳と5歳の幼児と一緒にお絵かきをして遊んでいたんですが、面白いことがありました。

 その時に使っていたクレヨンが少し特殊でして、鉛筆の芯のようになっていて、お尻の部分を回転させるとクレヨンの芯が飛び出してきて、描くことができるというものでした。

 しかし、甥っ子兄弟にはその理屈がわかりません。
 振っても、押しても出て来ないのでなかなか描くことができません。
 やがて僕に向かって、困ったようにクレヨンを差し出してきます。

 そこで、僕は「教えない」ことにしました。
「どうしたの?」ととぼけて、自分のお絵かきをしていました。

 すると、そのうちに2歳児がそのクレヨンをいじっているうちに分解してしまいました。
 そして、バラバラになったクレヨンを5歳児の兄が直していました。

 不思議なことに5歳児の方は、それからクレヨンの使い方を覚えて、描けるようになりました。
 もちろんそこで僕はクレヨンを使えるようにしてあげることはできたんですが、そうしたら甥っ子は毎回使いたい色のクレヨンを僕に渡さなければならないし、僕もいちいち手を止めてやってあげなくちゃいけません。
 
 それはお互いにとって面倒です。
 けれど、教えないことで甥っ子はクレヨンの使い方を知れたし、僕もお絵かきに集中できました。(笑)

「しないことを決める」ということは後ろ向きで怠慢だとする考え方もあるでしょう。

 けれど、僕はむしろ可能性を広げる行為だと感じています。

 例えば、目標(なにをやるか)を決めてしまうとそれ以外の道は許されないわけです。
 狭い一本道で目標が達成できなければ、全部失敗になってしまいます。
 
 一方でなにをしないかを決めておけば、自由に身動きが取れますし、選択の幅は広がります。
 また、避けるべき結末が避けられたなら、それは成功と言えるでしょう。

まとめ

「なにをしないか」という発想は、今あるものから引いて行くのでなにかを買い揃えたり、準備に時間をかけたりする必要はありません。
 むしろ、余分なことを捨てることで、自分に取って本当に必要なものが浮かび上がってきます。

 僕がヨガでやっているのもそういうことです。
 積み上げていくよりもまずは、余分なものを取り除く。

 そのためには、やっぱりなにが余分なのかをはっきりさせる必要がある。
 だから、感覚を磨いていきたいのだと改めて実感しました。

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