先日、歩いていると31アイスクリームに長蛇の列ができていました。
何事かと思って調べたらソフトバンクユーザーが毎週金曜日に無料でアイスクリームを食べられるクーポンを発行していることを知りました。
僕自身もその対象ではありましたが、その長い列を前にして並ぼうとは思えませんでした。
みんなが不満そうにしていた
「現在の待ち時間は30分です」
そう伝える人数整理のお姉さんは疲れた様子をしていました。
同じことを何度も尋ねられ、その度に同じ返答をして、貼りつけた笑顔はどこかぎこちなかったです。
そして、列に並ぶお客さんはいつまで待たせられるのかとケータイを眺めながら口をへの字にしていました。
そこにいる人達はなぜかみんなが不満を抱えているようでした。
長い間待って、ようやくアイスクリームを手に入れた人の表情に見えたのは、喜びというよりも待つことから解放された安堵でした。
無料で甘くて美味しいアイスクリームがもらえるのに、そこにはそれほどの幸せを見出すことはできませんでした。
本当はなにも無料じゃない
働いている店員さんの給料も、アイスクリームの材料費も本当は無料じゃありません。
そして、並んで待っている人の時間だって、無料じゃないんですよね。
頭ではわかっていたことなんですが、その光景を見て僕はハッとさせられました。
30分待つよりも、30分働いてお金を払って買った方がお釣りがくるかもしれない。
割に合わない。
きっとみんな心のどこかでは思っていたのではないでしょうか?
けれど、「無料」という言葉を目にした途端に神経が麻痺してしまう。
お金と無料の魔力。
それは決して他人事じゃなく自分も当てはまっていました。
「お金に縛られたくない」という呪縛
僕はお金に縛られたくないと思ってきました。
それに縛られてしまうと自分の心が貧しくなってしまう気がしたから。
自分の労働の対価としてお金をもらい、それに見合った働きをする。
そのことにとても窮屈さを感じていました。
もっと別のことにエネルギーを使いたい。そう願っていました。
だから、なるべく働きたくないと思っていたし、もっと人に与えることがしたいと思っていました。
たくさん寝ていたいと願っていました。
でも、その発想が逆に自分をがんじがらめにしていることに気づかされました。
働く=お金を稼ぐ
働きたくない、仕事をすることが嫌い。
そういう人はきっと、働くことはお金を稼ぐことだと捉えているのではないでしょうか?
生活のために働く。
それはすなわち、お金を稼ぐことだって。
だから苦しくても我慢しなくちゃいけなくて、嫌いでも続けなくちゃいけない。
けれど、働くことが心の底から好きだという人がいます。
その人達はお金の話をあまりしませんでした。
自分はこういうことができる仕事が好きで、そしてそのおまけとしてお金ももらえている。
そんな話ぶりを聞いていて、誰よりも僕は働くことってお金を稼ぐことだと自分が思い込んでいることに愕然としました。
結局のところ、僕は「働く=稼ぐ」という前提条件のもとに考えていて、でも仕事を愛する人は「働く=○○」の中に別の言葉を入れていたのでしょう。それは「社会貢献」「愛」など人それぞれですが、誰かに植えつけられたものではなく、自分で見出した価値でした。
今一度考え直してみよう
お金を稼ぐために働くことが悪いことだなんて思いません。
それがモチベーションになる人もいるでしょう。
けれど、それだけじゃ心が摩耗していく。
だから自分で働くことを再定義しなくちゃいけないと思います。
働くことって自分にとってなんだろう?
学生で就職活動をする時に、仕事内容や給料、休みのことは散々気にしていたのに、「そもそも働くことが自分にとってどういうことなのか?」という根源的なものを考えたことがなかったことに気づきました。
当時やっておけば良かったなと思わないでもないです。
でも、今その課題にぶつかっているのだから今がそのことについて考えるベストタイミングなのでしょう。
課題は、それが必要な時に与えられるものですから。