1.失敗を恐れる幼少期
2.あまりにも思い通りにならない心身(この記事)
3.100人100通りの心を扱う方法があるのか
4.変わるきっかけとより深い疑問
5.ティッシュ配りから始まるヨガライフ
6.ホットヨガとの決別
7.自分の取り扱い説明書
8.私が沖ヨガをやる理由
人の顔色をうかがいながら生きてきた私は、15歳になる頃には体重が90kgに到達しました。当時は身長が165cmくらいだったと記憶しているので、完全に肥満です。
そうして私のストレスがピークになった頃に高校入学というイベントが起こります。
当時家庭環境が荒れていたこともあり、劇的な友人関係の変化に耐え切れませんでした。
人の顔色をうかがおうにも初対面の人ばかりで誰がどんな振る舞いをすれば喜んでくれるのかわかりません。
結果、私がまともに高校に通ったのは1週間。保健室登校もしましたが、結局高校を中退することになりました。
精神科に行けば鬱と診断され、白衣を着たよくわからない医師に根掘り葉掘り話を聞かれて混乱の極みにありました。
やりたいことを思いついても、失敗するイメージが頭をよぎって恐ろしくなりました。
明日は頑張ろう、と思っても寝た日の翌日は最悪の目覚めでした。そして、なにもできなかった1日を振り返って更に己を責める毎日。
なんでこんなにも思い通りにならないのだろう?
身体はぶくぶくと太って重く、心は何度奮い立たせても簡単にポキリと折れてしまう。私の心と身体なのに、自分の意志とは反対のことばかりが起こってしまう。悶々と考えてベッドの中で頭を抱えていました。
なんで他の皆は平気なのだろう?
同年代の少年や大人は悩みがないように見えました(もちろん、そんなことはないのですが)。どうやって自分と折り合いをつけて、コントロールしているのかさっぱりわかりません。
とにかく苦しさに支配された世界の中で、疑問は次から次へと出てくるのですが、思考能力の落ちた頭ではそれを解決する術をなかなか見つけられませんでした。
そんなことが2年ほど続きました。
けれど、人間とは面白いものです。楽しみが永遠と続かないように苦しみもずっと感じ続けることもできないのかもしれません。
苦しみ疲れて、だんだん頭が冷静になってきます。
ずっと、嵐の吹き荒れてきた心がだんだん静かになってきた時に、ふと水面下から心の声が浮かび上がってきました。
自分の心がわからないなら、学べばいいじゃないか。
18歳の秋、私は心理学を学ぶために大学に入ることに決めました。